はじめに

プロフィール

こんにちは!ニコルです。
私は老後のお金が不安すぎて、まだまだ働きたい
59歳の主婦です。

本日はこのサイトにお越しいただきありがとうございます。

私は結婚で仕事を退職してから、場当たり的にパートを点々としてきました。

子供たちの進学で貯金もほぼ使い果たし
夫は地方の中小企業勤務で、退職金にはあまり期待できません。

残念ながら、これからの生活には不安しかないという状況です。

あなたはこんなふうに考えたこと、ありませんか?

  • 親の介護が始まったら、仕事との両立が難しそう。
    介護って、生活を維持しながらちゃんとできるのかな…
  • 夫の定年後、十分な生活費って確保できる?
    老後への蓄えもできてないし、退職金も微妙…
    所得低いと年金もあてにできそうにない。
  • 60代になっても何かしら仕事は続けたい。でも体力的にあと何年
    働けるんだろう…そもそもいい仕事って見つかるのかな?

私の場合、この全てがリアルな悩みでした。

しかしあることがきっかけで、Webマーケティングを活用した在宅ワークを
フリーランスとして始めることを決意しました。

目標は1年後に月収30万円を稼げる自分になること

「ろくなスキルもないアラカン主婦には無理だろ!」
と思われるかもしれませんが、いたって本気です(笑)

このように決意したのには、ちゃんと理由があります。

この記事では、私がなぜ在宅フリーランスという働き方を選び
ネット難民世代にも関わらず「Web マーケティング」の道を選んだのか!
について、これまでの人生を振り返りながらお話ししていきます。

基本情報

名前:ニコル
家族:今は夫と二人暮らし
生年:1966年生まれ
職業:SNS運用代行・パン講師
趣味:ラブコメ鑑賞
好きな食べ物:チーズ・ザクザク食感のもの
好きな色:ブルー

生い立ち

幼少期

九州の田舎町で生まれ、仲の良い両親と妹の4人暮らし。
両親は自宅のすぐ近くにある商店街で、お店を経営。
愛情たっぷりに育てられ、幸せな幼少期を過ごす。

学生時代

割と活発で、好きなことには夢中になるタイプ。
小学校から器楽合奏クラブに、中学・高校では卓球部に入部。
寝ても覚めても部活!みたいな感じで日々を過ごす。

勉強も割とできる方で(自画自賛 笑)、中学までは授業さえ聞いてれば
特に勉強しなくてもそこそこの良い成績。何も勉強しないまま地元の進学校へ入学。

高校ではそれまで勉強してこなかったことが仇となり、成績はガタ落ち。
国立大学の受験にも失敗し、滑り止めで受けた短大へ進学。

最終的には学んだこととは全く関係ない、ただの OL になる。

就職するまでは、まぁざっとこんな感じで
その当時の、いたって普通の人生です(笑

そこそこ優等生だった私ですが、最終的に自分のキャリアには全く希望が
見出せず、結局何者にもなれなかったな〜と感じていました。

そして人生設計など、な〜んにもにも考えずに24歳で結婚。
平和だった私の人生は、この後激動の日々になっていくのです…

結婚…想像もつかない未来が待っていた

同居生活が始まる

結婚で仕事はやめてしまいましたが、新居の近くで
事務のパートを始めました。

それからまもなく妊娠がわかり、幸せな新婚生活を送っていたある日

義父が脳卒中で突然倒れ、危篤状態に。
お医者様からは、「覚悟してください…」と告げられました。

義父がいつどうなるかわからない状況の中
夫が病院の食堂で、こんな話を切り出します。

「母ちゃんが、一緒に住んでくれない?って言ってるけど、どうする?」

内心「え、嫌だな…」と思いながらも
義父がいつ亡くなるかわからないという状況にのまれ
外面の良かった私は、快諾してしまいました。

そして倒れてから1ヶ月後、義父は亡くなります。

夫の実家に引っ越すと、大きなお腹でのバス通勤が不安で
仕事も辞めて、専業主婦になりました。

結婚してまだ数ヶ月、初めての妊娠
夫の実家というアウェイな環境での義母との暮らし。

義母はいい人だったけど、同居生活は正直しんどかった…
しかし、本質的な問題はそこではありませんでした。

同居したことで、夫の自立心が薄れてしまったのです。

子供が産まれると、夫は可愛がりはするものの
お世話に関してはお義母さんに丸投げ…

もちろん、ほとんど私がやるのですが、協力してほしい時も
「母ちゃん、お願い!」といつまでも息子気分が抜けません。

一番困ったのは、仕事を辞めたがること

友達がほぼいない夫は、会社での人間関係も苦手でした。

彼は、仕事を黙々と一生懸命頑張るタイプ。
一方で、真面目に取り組まない人を許せないようで

「あいつは真面目に仕事をしない!」
「何であんなやり方するんだ!」
「あ〜、もう会社辞めたい」

こんな感じでほぼ毎日、仕事の愚痴を言っていました。
(今でも言ってます笑)

同居したことで
「住む場所はあるし、なんとかなる!」と思ったのでしょうか。

夫はそれから、「こんな会社で働きたくない」という理由で
何度も転職を繰り返すことになります。

子供の入院

そんな状況でしたが、2人目の子供も生まれ
お義母さんともなんとかうまく付き合いながら、同居生活を送っていました。

次男が生後4ヶ月の時、2歳の長男が喘息を発症
程度が重くて、そこから入退院を繰り返すことになります。

小さな子供なので、母親は当然ずっと付き添います。

息子の小さな手の甲に刺されている点滴の針を見ては
「なんでこんなことになっちゃったんだろう…」

涙が止まりませんでした。

それからは、息子が発作を起こすたびに
慌てて病院へ駆け込む日々。

息子の喘息は少し変わったタイプで
発作を起こすと急激に悪化します。

急いで病院に駆け込んで処置をしないと
呼吸ができなくて命に関わるのです。

担当医の指示で、耳鼻科にも通うことになり、病院付けの毎日。

そんな生活を続けるうち3人目の子供も妊娠し
大きなお腹を抱えながら病院通いをしていました。

当時私の住む自治体では、6歳までの子供の医療費は返ってきましたが
通院する交通費その他、もろもろ経費はかかります

長男が幼稚園に通う際には、園からの連絡を受けられないのが怖くて
当時はまだ贅沢だった携帯電話も購入しました。

同居はつらかったけど、なんとか生活して来られたのは
義母と一緒に住んでいたからだと思っています。

それでも生活は、決して楽ではありませんでした。
義母も「裕福」というわけではなかったので。

出費が多い状況にもかかわらず、息子が発作を起こした時には
すぐに対応できないといけなかったので
私はパートで働くことさえ出来ませんでした。

ようやく仕事ができる状況になる

親切な農家さんとの出会い

長男が小学4年生になった頃、軽い発作は出るものの
ようやく入院生活も落ち着いてきました。

「これからお金もかかるし、何か仕事したい…」

そんな時、主人の知り合いの農家さんに

息子の具合悪くなったら、いつでも早退していいし
急に休んでも構わない

という超わがままな条件を受け入れていただき
約10年ぶりに仕事を始めることができました。

正直時給は安かったけれど、ご主人と奥様の温かいお人柄、
楽しい仕事仲間と出会い、働けることが嬉しくてたまりませんでした

その農家さんでは数年働かせていただきましたが
子供達の成長とともに出費も多くなり
農家さんのわずかなバイト代では、経済的に立ち行かなくなっていきました。

長男も中学生になると喘息発作も少なくなり、部活動も始め
本人もだいぶ健康管理できるように。

「これから塾代も必要だし、高校に入るともっとお金が必要だな…」

その頃耳にした話ですが
子供にお金があまりかからない小学生の頃に、貯金しとくといいよ

でも全然それができなかった。私は働けなかったし
夫は転職を繰り返し、お給料は全く上がらない…

なんとかしなくちゃ…

パートで稼げるお金って限られてるし
自分で何かお店でも始められたらいいのにな…
いつかカフェとかオープンできるといいな…

ぼんやりとではありますが、そんな思いが芽生え始めました。
やっぱ商売していた親の影響って大きいですね(笑

私は思い切って、農家さんを卒業することに決め
小さなスーパーのお惣菜部門で働き始めます。

厳しい状況の中、親切な農家さんのご厚意で
私は「働く一歩」を踏み出すことができました。

そしてここから私の、パート漬けの生活が始まります。

無我夢中でダブルワークする

お惣菜のパートは、6時間しか働かせてもらえませんでした。

実は、仕入れの仕組みや業者さんのことを知りたい
という理由でこの仕事を選びましたが

これじゃお金足りない!もっともっと働きたい!

もう一つバイトを掛け持ちすることを考え始めました。

すでに40歳になっていたので、パート探しも楽ではありません
当時求人誌を見ると、40歳ぐらいまでという年齢制限がほとんどでした。

早く仕事見つけなきゃヤバい…

そんな時、近所の方が働いている飲食店で求人が出ていました。
夜間の時間帯だったので、お昼の仕事より時給も高め。

私はそのご近所の方に口を聞いてもらい
なんとかそこで雇ってもらうことに成功します。

スーパーの仕事は8:00〜14:00
飲食店の仕事は22:00〜26:00

この2つのバイトをしながら、合間で家事をこなし
朝は高校生になった子供のお弁当を作る

こんな生活を約7年続けました。

正社員になるチャンスをつかむ

そんなダブルワーク生活を頑張っていたある日
ご近所のママ友から一通のメールが届きました。

最近、近くの老人ホームの厨房で働き始めたんだけど
まだ人が足りないみたい。
すごく条件がいいから、話を聞きに来ない?

よくよく聞いてみると、初めは非正規社員だけれど
それでも正社員の8割ぐらいはボーナスも出て
しかも調理師免許を取ったら正社員になれる、とのことでした。

入居者の食事を作る仕事だったので、早番遅番はありましたが
家からも割と近く、かなりの好条件。

そのママ友は、私がダブルワークで頑張っていることを知っていて
体を壊すのではないかと、心配して声をかけてくれたのです。

「ここで働けたら、お金貯められるかもしれない!」

私はダブルワーク生活をやめて
転職することを決めました

そして2年後、試験を受けて調理師免許を取得
晴れて正社員となることができました。

気づけばもうすぐ50歳…
仕事内容は重労働でかなりハードだったけど

歳が近い3人の子供達を、県外の学校へ進学させている真っ最中だったので
本当に渡りに船でした。

60歳まで頑張ってここで働いたら
今まで出来ずにいた、老後への備えも少しできるかも!

早い時は朝4時半に家を出て、休む間もなく12時間ほど働いて
クタクタになって帰る毎日ではありましたが

将来に少し希望が見えてきました。

希望を失う

正社員になって3年ほど働いたある日のこと、役職のついたベテランの先輩方が
定年となり、私は主任を任されることになりました。

私と同時期に入った同僚が他に3〜4名いたのですが
その中で私の入社が一番早かったというのが理由でした。

しかし同僚たちは、入社は後だったものの
私より調理師歴の長い人たち。

その頃から職場の空気が変わり始めます。
同僚からのハラスメントが始まったのです。

最初に私を誘ってくれたママ友は
家庭の都合で既に退職していました。

仕事中同僚から、みんなの前で大声で怒鳴られたり
私がミーティングや会議に出なければならなくても
協力やフォローが全くなかったり…

私が主任になるまで、全くなかったことを
次々とされるようになりました。

ひょっとしたら気づかないうちに、私がその原因を
作っていたのかもしれません。

ですが話し合う余地もなく、一方的に責め立てられ

モラハラを受け続けるうちに、だんだんメンタルをやられ
仕事中にも関わらず涙が止まらなくなったり
そのうち食事も摂れなくなりました。

ちょうど一番下の子供が、就職で県外から帰くるタイミングで

「お母さん、そんな環境で無理して働くことないよ!」
と言ってくれて

子供の大学卒業と同時に
人生で初めて、逃げるように仕事を辞めました

「頑張って老後資金を貯めよう!」

子供達も卒業し、これからという時だったのに
そんな私の希望は砕け散ってしまったのです。

それからの私は、なかなか気持ちを立て直せず
廃人のような毎日を送っていました。

何のやる気も起きず、ただぼーっと過ごして1日が終わる…

そんな日々を数ヶ月過ごしていましたが
子供が帰ってきたこともあり、少しずつ少しずつ元気になることができました。

1枚のポスターが人生を変えた

パン教室を始める

気持ちが回復してきたある日、子供とランチに出かけると
お会計のところに、1枚のポスターが貼ってありました。

「講師募集」

街の中心地の商業施設にある、大きなレンタルキッチンで
お教室を開催する講師を募るという内容でした。

実はまだ元気に調理師をしていた頃、私はとある
パン講師の資格を取得していました。

でもお教室を開こうと思って取ったものでは全くなく
ただ「パンが焼けたらいいな〜」という気持ちがあったのと

その資格が通信で取れて、しかも超リーズナブル!
その頃は正社員で少し余裕もあり、内容も難しくなかったので

「学ぶなのなら、せっかくだから取っとくか!」
くらいの軽いノリで取得したものでした。

気持ちも整ってきて、次の仕事を探そうと思い始めた時だったので
ダメ元でやってみようかな
でも経験のない私でもできるのかな?

ちょっと勇気はいりましたが、恐る恐る問い合わせてみると
講師をするにあたり何の条件もなく
「誰でもどうぞ!」という感じで、拍子抜けするほどでした。

「ダメ元でやってみよう!うまくいかなかったら
次のバイト先を探せばいいや」

私は思いがけずパン教室を始めることになりました。
52歳のことでした。

集客の壁にぶち当たる

「お教室の先生」という響きに、かすかな憧れはありました
まさか本当に自分が始めることになるなんて、思いもよらないことでした。

何もかもが初めての経験。
どうやって生徒様を集めればいいのかも分かりません

初めはチラシを作って、知り合いのお店に
貼らせてもらうところから始めました。

するとその中に協力してくれる人が現れて
少しずつ生徒様も集まるように

しかし…

そんな時、あの「コロナ禍」が襲ってきました。

当然教室は、休まざるを得ません。
いつまで続くのか、先が見えない状況

パン教室を始めて、5ヶ月後のことでした。

しばらく様子を見ていましたが、とても教室を再開できる状況ではなく
私はまたなんとかパートを見つけ、働き始めました

でも教室業を全く諦めたわけではありません。
パートを続けながら、世の中の様子を見つつ
出来る範囲で、パン教室も細々と続けていきました。

コロナが落ち着き始め、「これからまた頑張ろう!」
と意気込む一方で、集客の厳しさを知ることになります。

コロナ前より生徒数は激減…

自己流で頑張ってSNS 発信をしたり、オンラインレッスンにもチャレンジしましたが
なかなか思うように生徒様は集まりません。

思い切って集客講座も受けましたが、なかなか成果は出せませんでした。

それに学んだ内容は、とても勉強にはなったけど
正直、「大げさでわざとらしい感じが嫌だな…」と思ってしまいました。

それからいくつか集客の学びを進めるうちに、私は
「Webマーケティングという言葉に出会います。

たまに耳にする言葉ではありましたが
意味はよく分かっていませんでした。

そして学ぶうちに、オンラインレッスンだけではなく
他にもたくさんリモートでできる仕事があることを知ります。

私はパン教室をしながら、Instagram運用代行という仕事を
始めることになりました。

Web マーケティングとの出会い

Webマーケティングって、馴染みがない方も多いのではないでしょうか?
こちらについては、別記事で詳しく説明しますが

実は私が「Webマーケティング」に興味を持ったきっかけがあります。
それはある講座で外部講師として話された、Webマーケターの方のこんな言葉でした。

「マーケティングとは、欲しいものを欲しい人に届けること」
「マーケティングの最終形は営業活動をなくすこと」

例えば、寒くて凍えそうな人に暖かい飲み物を届けること。
喉がカラカラな人にお水を届けること。

感動しました!

多くの人は商品を売る=「営業って大変」「人に嫌われる
というイメージを持っているのではないでしょうか。
実際私もその一人でした。

でもWebマーケティングを本格的に学べば
嫌われるどころか、喜んでもらえるのかもしれない。

そして以前感じた「大げさでわざとらしい感じが嫌だな…」と
思わなくて済むんじゃないか…

そんな時、あのWebマーケティングに興味を持つきっかけとなった
マーケターの方から、直接学べる講座の募集があったのです。

大チャンスかもしれない!
この先生から学びたい!でも…

その時の私には、すぐに決断できる料金ではなかったのです。

胃が痛くなるぐらい悩みましたが
主人ももうすぐ定年だし、もっと収入を上げなきゃヤバい…

自分で稼ぐ力を身につけたい!

必死でお金をかき集め、腹をくくって
講座を受けることに決めました。

最後に

アラカン世代は大きく2つに分かれると思います。

1つは、子育ても終わり悠々自適な第二の人生
もう1つは、蓄えもなくこれからが不安でしかない人生

私の場合は間違いなく後者です。

60歳を過ぎると、雇い先があったとしても
親の介護問題や体力的なことなどで、働き続けられるかどうかわかりません

仕事も限られてくるし
そもそも雇い先が見つからないしれません。

でも、誰もがスマホを持つ現代において
Webマーケティングスキルはとても需要があります。

必要とわかっていても、やり方がよくわからないという経営者が
たくさんいるからです。

在宅ワークなら、パソコン1台あれば場所に関係なく働けます。
フリーランスなら、雇ってもらえなくても働けます。
Web マーケティングなら、たくさんの人に求められます。

だからこそ、Web マーケティングを学び、在宅ワークで
フリーランスとして稼ぐ力を身につけられたら最高!と思うのです。

「現実はそんな甘くない!」というのは百も承知です。
でも何もチャレンジしなければ、惨めな老後生活が待ってるだけ…。

相当頑張らないと結果は出せないと思いますが
頑張るべき道が見えたのは、とてもラッキー!

52歳でパン教室を始めるまでは、パソコンすら持っていなかった私
在宅ワークで月収30万を稼げるようになったら
同じ悩みを持つ人たちに、希望を届けられるのではないかと思っています。

このブログでは、私がWebマーケティングのスキルゼロから
月収30万円を稼げる自分になるまでの記録を発信していきます。

私と同じように、老後の不安をなくしたい!と感じている方のために
参考になるよう書き進めるつもりです。

よろしければこんな私が、本当に1年後に月収30万円を達成できるのか?
そして本当に参考になる内容なのかを
ちょこちょこ確認しに来てください(笑

老後が不安で仕方ないと感じている皆様に
希望と勇気を届けられたらとっても嬉しいです。